山歩き

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西への旅、ソウルからのアップロード

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象の鳴声が聞こえる宿、京都岡崎。この日D大学啓明館にて研究発表 7月25日
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真田丸から大阪城への抜け穴入り口 村山知義「忍びの者」参照 7月27日

 追記 8月12日 画像とは関係はありませんが参考に『忍びの者』村山知義 三巻「真田忍者群」67年2月 理論社「赤旗日曜版」1964年12月から66年11月まで連載 846枚
≪本編の読者に≫「朝鮮侵略戦争、今までの日本の文学ではこの戦争のことを書いた歴史小説が私の、知る限り、皆無である、ということもあって、私はせっかくのこの機会に、できるだけ詳しく、この恥ずべき戦争を描いて置きたく思った。私たちが中学生、高校生だったころは、日本国民の誇るべき海外雄飛の姿と教え込まれていたこの戦争の実態を、ひろく伝えたかったのだ。朝鮮の友人に話を聞き、資料を借りてしらべた。私はこの一巻を、朝鮮民主主義人民共和国の友人たちに、370年前の日本人の罪悪の謝罪を乞う意を籠めて、ささげたく思う」
(秀吉の朝鮮侵略に関して)

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陸軍省による墓碑群 西南戦争から  真田山 友人の案内で「墓地」の存在を知りました 7月27日  追記8月10日 関連リンク「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」

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織田作之助墓碑と遭遇 真田山近辺 7月27日
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寺の名前
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フェリーボートはすでに韓国「内」 大阪南港ターミナル
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瀬戸内海、瀬戸大橋目前の日没 7月27日
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玄界灘の夜明け 日の出は午前5時半ころですが5時少し前から明るくなり始めました 7月27日
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霞む対馬、肉眼ではもう少し識別できます 7月28日
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釜山港への接岸 7月28日

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40階段、韓国映画「情け容赦無し」冒頭の殺人事件のロケ地 7月28日
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光州市郊外、「発見」されない遺骨も多くあると思います 金正勲さん(リンク)に光州ではお世話になり案内をして頂きました 7月29日 8月7日 追記 金正勲さんによる映画批評 『華麗なる休暇』〈インターネット新聞〈JanJan〉映画の森 08年4月18日 冒頭引用 1980年5月18日。光州市民にとって忘れられないあの日、予備校生だった私もデモの中にいた。平和的に行進する市民に向け、軍は無差別に銃を発射した。道庁に立てこもり、最後まで戦い抜いた“市民軍”の仲間たちを、なぜ助けることができなかったのか。生き残った光州の人々は、今も罪悪感と自責の念から逃れられずにいる。「光州5・18」に映し出される28年前の惨状。胸の底から熱気が湧き出し、軍に対する怒りでぶるぶると体が震えるのだ。…

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光州市の中心部、道庁前。「5.18民衆抗争」のモニュメント 説明文は三つの言語 7月29日
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ドキュメントDVD

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大田市「西大田駅」、KTXからムグンファ号への乗継
「光州」駅」でKTXに乗るときは宿から光州駅に向う道路の位置を90度も勘違い、広い通りを疾走してかろうじて間に合いました。発車5分前に改札を通り抜け7時20分発に乗車。乗り損なっていれば次は10時半頃のダイヤ 7月30日
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芙江、台山 7月30日
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ソウル市内、ある研究所ロフトからの眺望7月30日

 未だ彷徨中、明日は聞慶市シンポジウム、明後日は未定、8月3日は再び釜山、4日は大阪。
何処の都市、町も30℃超え、湿度も高し。
 各地の友人の皆さんのサポートで10泊11日の旅を続けられています。


8月6日追記。7月26日夜は友人の案内で鶴橋・桃谷駅徒歩20分・15分の韓国家庭料理店「福一」にて夕食。
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by yamanohon | 2008-07-31 06:12

芙江

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「台山は叔母の家の持ち山だった。叔父が以前鉄道に勤めていた頃買って置いたとかいう山で、栗の本が植え込まれていた。」  

金子文子は八〇年余り前に市ヶ谷刑務所の独房で芙江の少女時代を回想し手記に認めた。  韓国訪問の目的の一つに、この山を歩くことを計画に入れていた。芙江という慶尚南道の小さな町に位置している。

直前の滞在地、南部の光州市から鉄道で行くには不便であった。前日に釜山市郊外のバスターミナルで買った『時刻表』をもとに乗継電車を決めていた。芙江駅は在来線の駅でムグンファ号が一日数本しか停車をしない。 午前八時、光州駅のホームに停車していた韓国版新幹線・KTXの座席に腰を落としたときは発車二分前であった。乗り損なっていたら次のダイヤまで三時間近く待つしかなかった。西大田駅で一時間半の乗継待ち時間がある。モダンなデザインの駅舎を出て近辺を散策。万博を開催し発展した大田市の中心部までは距離がある。食堂やカフェで時間をつぶす。京畿線に乗換え三〇分で芙江駅に着く。宿泊地ソウルに向かう電車まで三時間ある。


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「先生が、《あれは山ではない、丘だ》と定義をした事がある位で、この山は決して高い山ではなかったが、それでも位置がいいので頂上に登ると、美江が眼の下に一目に見える」
韓国各地も日中の気温は三〇℃前半であり、日本と変わらない。町中を数分歩くだけでも汗をかく。台山への登り口が明示されているわけではない。町の端にある中学校の敷地から登れると見当をつけた。 坂道を登りきった門から校庭を抜け真ん中にある石段を上がった。 校庭からは望めなかった畑が広がり後背地に薮と林がある。強引に薮にはぃった。引掻き傷と襲いかかる薮蚊で剥き出しの腕、脚が腫れてくる。汗が膜になり身体を包み込む。空気が動かない。薮が続くようならば引返し別の取り付き口を捜すしかない。

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「木の枝に褪紅色の栗の実が、今にも落ちそうにイガの外にはみ出している。… 時には草一本ないところに出るかと思えば時には深い草叢のところに出くわした」  少しだけ進むと開けた窪地があり抜けて均された狭い道と出会えた。道を上に進む。  尾根すじの道を進むと林の中であるがピークと思われる地点に到った。昨年一二月に探索した錦江が望める。 「西北に当っては畑や田を隔てて停車場や宿屋やその他の建物が列なっている。町の形をなした村だ。中でも一番眼につくのは憲兵隊の建築だ」  

現在の芙江は錦江の近くにIT企業の工場が誘致された影響で中層アパートが数棟そびえ宿屋がモテルに変わり町といえるだろう。  しかし駅は素朴で停車場と言うにふさわしくまた古くからの居住地域には村の趣きが僅かにある。


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「何だか腹の底から力が湧い来るような気がして、私は思はず「おーい」と誰にと言うのではなく叫んでみる。けれど無論誰もそれに答える筈はない。私は独り山にいるのだ。」  

金子文子の遺骨は三度も移葬され今の墳墓は聞慶の朴烈記念公園の一角を占めている。  三日後に訪れたとき「台山」で拾った緑の栗のイガを墓に添えた。 彼女が精神の自立を獲得したかつての台山は開発で削られることもなく芙江の町を見守っている。  その山の林の中の道を往きつ戻りつした。 「ゆったりとした気分になって草の上にごろりと横わって、空を眺め


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る。深い深い空だ、私はその底を知りたいと思う。私は眼を閉じて考える。涼しい風が吹いて来る。草がさわさわと風に鳴る。」  九〇年前の「叫び」に応答が可能であるか…「台山」を彷徨い自立を求めた精神の揺籃の場と深い空を探した。




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by yamanohon | 2008-07-30 00:24

釜山から光州

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by yamanohon | 2008-07-29 23:25

『嬉遊曲』

正津勉詩集 『 嬉 遊 曲 』
(しょうづ・べん)正津 勉 著

     ススキ(芒)
     日の出は遅く日の入りは早い
      日はもうよほど短くなっていて
     山の懐はというと寂しく翳るばかり
      陽は釣瓶落とし急に四方暗く

     風が肌を刺す山の端は朱に
      かちかちと上歯と下歯とかちかちと
     みはるかす帰路の山麓はいったい
      目路のかぎりいちめんの芒原

     立ち枯れつ折れ伏しつ
      黄金に透けて穂波が揺れて
     おいでおいでと手招きをするように
      とそう見る間に光は死ぬのだ                                         

                   ――『嬉遊曲』収載

山で出会ったものたち

[本書所収]
鳥――       虫――         草木――
 ツツドリ       ナガコガネグモ      シダ
 フクロウ       アサギマダラ       ススキ
 トビ          ガ              ベニテングダケ
獣――         コオロギ          ヒヨドリジョウゴ
 カモシカ      魚――
 ヤマカガシ     イワナ
 アカハライモリ   サワガニ
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by yamanohon | 2008-07-18 12:20

BC級戦犯 獄窓からの声

ドキュメンタリー番組ハイビジョン特集。紹介データは同番組サイトより。 「BC級戦犯 獄窓からの声」
BShi 8月13日(水)午後9:00~10:50
『私は貝になりたい』のリメイク等、BC級戦犯を描いた作品がブームになっている。これまで“勝者の裁き”と批判されることが多かったが、戦犯の汚名を負った人々に、自己の戦争犯罪を正面から見つめようとしたグループがあったことは、ほとんど知られていない。
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「巣鴨プリズン跡地」撮影・ブログ運営者 2008年3月21日

1950年代初頭、スガモプリズンに、自らの釈放を疑問視するBC級戦犯のグループがあった。ニューギニアで住民を虐殺し、20年の刑を受けた飯田進は、獄中で自らの戦場体験を凝視し続けた。朝鮮半島出身のイ・ハンネ(李鶴来)やホン・ギソン(洪起聖)等は、自身の罪を認めながらも、日本軍の責任を転嫁された不条理を訴えた。大東亜共栄圏の幻想から脱した日本人戦犯と、朝鮮半島出身の戦犯は、互いに影響しあいながら、「壁あつき部屋」などの手記を壁の外に向けて発表した。番組では、飯田進やイ・ハンネ等の戦場体験をその裁判記録と付き合わせながら描く。さらに、戦後彼らがスガモプリズンの獄窓から発した問いの意味を考えていく。
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プログ内リンクポルトBツァーパフォーマンス「サンシャイン62」
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by yamanohon | 2008-07-14 10:52

最中

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「献上」というのは明治神宮に献上とのこと。「秋水書院」と記してあるのは幸徳秋水の処刑の日に移築された徳富蘆花の二番目の書斎となった「農家」、秋水書院のことである。
現存している秋水書院のイラストを包装にあしらい最中の形も秋水書院である。最中の皮にも「蘆花」と浮き出させている。
菓子店が、徳富蘆花が秋水書院と命名した経緯の認識なく明治神宮に献上したのであろう。

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by yamanohon | 2008-07-02 08:12

ドキュメンタリスト 工藤敏樹

ドキュメンタリスト 工藤敏樹 戦後日本の素顔に迫ったドキュメンタリー作家
NHKのディレクターとして数々のテレビドキュメンタリーを制作した工藤敏樹の描く珠玉の12作品を一挙放送この記事のデータは公式サイトより→http://www.nihoneiga.com/0806/0806_4.html


1960年代~70年代、日本が高度成長期を駆け抜けていた時代に、工藤敏樹はNHK所属ディレクターとして戦後の日本、そして日本人を様々なテーマで捉えたドキュメンタリー番組を制作していた。
工藤は、隅田川の汚染を訴える役所の係長、スリを尾行するベテラン警部、炭鉱の絵を描き続ける元工夫の画家など様々な人々の歩んできた人生を映し出した短編ドキュメンタリー「ある人生」シリーズで注目され、その後自身の学童疎開の体験が投影された「富谷国民学校」、廃船となった第五福竜丸の保存をめぐる人々の思惑を描いた「廃船」などの長編ドキュメンタリー番組を制作し、高い評価を得た。
工藤作品の特徴は「音」にある。膨大な取材から引き出される人々の肉声や街のざわめき、市井の声などをナレーションと組合せ多角的に使用する手法を用い、それらが映像と合わさった時、現実と過去、リアリズムとドラマを超越した工藤独自の視点で捉えられた「現在」が浮上するのだ。日本映画専門チャンネルでは、「ある人生」シリーズをはじめとする工藤敏樹の描いたドキュメンタリー12作品を特集する。

1964年(東京オリンピック開催年)から1972年(「浅間山荘」事件)まで、日本の戦後復興期から高度成長期を「テレビドキュメンタリー番組」という手法を用いて見つめた視点の先には何が映し出されていたのか。工藤敏樹の作品群から、戦後の日本人は何を考え、どのように生きてきたのかを、今改めて振り返る機会としたい。


工藤敏樹プロフィール
1933年東京都出身。58年に東京大学卒業後NHKに入局。62年ラジオ教養部に所属し「ある三十九トンの漁船」など録音構成を駆使した作品を制作。64年よりテレビ番組制作に携わりドキュメンタリー番組「ある人生」シリーズを手掛け、日本の歴史と現代の表象を映し出したドキュメンタリー番組を数多く制作。69年放送の「ドキュメンタリー 富谷国民学校」で芸術祭大賞を受賞。72年「祈りの画譜~もう一つの日本~」を最後に現場から退き、現場を統括する管理職となる。86年に番組制作局次長、89年にNHKを定年退職後はNHK放送研修センター理事に就任。92年に死去(享年58)。

◆ 放送日
6月23日(月)~27日(金) 午後2時 (C)NHK ~冬山に魅せられた男の執念とロマンを追った工藤敏樹のドキュメンタリー処女作~
ある人生 北壁にいどむ(TV番組) 1965  モノクロ BS・CS初/未ビデオ化
(C)NHK ~巣鴨とげぬき地蔵、アメヤ横丁、新宿・・・地味で目立たない「すり係」の視点から60年代の東京のざわめきが聞こえる臨場感溢れる一作~
ある人生 すり係警部補(TV番組) 1965  モノクロ BS・CS初/未ビデオ化
(C)NHK ~小さな島のローカル新聞社の奔走を描きつつ、老年記者と若手記者、父と息子など世代交代のあり方を冷静に見つめた一作。~
ある人生 離島新聞20年(TV番組) 1966  モノクロ BS・CS初/未ビデオ化
(C)NHK ある人生 メダカ課長(TV番組) 1966  モノクロ BS・CS初/未ビデオ化

(C)NHK ある人生 ぼた山よ・・・・(TV番組) 1967  モノクロ BS・CS初/未ビデオ化 8歳でヤマに入り、50年間にわたり炭坑で生きた山本作兵衛。60歳になって絵筆をとり、肉体に染みついた地底の生活を描き続けた。その作品の世界から炭坑の中に生きた人々の歴史を読み取る。
監督: (構成)工藤敏樹

(C)NHK ~至芸「浮かれの蝶」をめぐり芸人の世界の哀歓、嫉妬、凄味が凝縮された一作~
ある人生 浮かれの蝶(TV番組) 1968  カラー BS・CS初/未ビデオ化
(C)NHK ドキュメンタリー ある帰郷(TV番組) 1968  モノクロ BS・CS初/未ビデオ化
(C)NHK ~工藤俊樹の代表作と言われる番組。現在(制作当時)と疎開当時の渋谷区富谷が交錯し、現代教育のあり方について鋭い問いを投げかけている。~
ドキュメンタリー 富谷国民学校(TV番組) 1969  モノクロ BS・CS初/未ビデオ化
(C)NHK ~長期取材を行い、船の流転と組合員を徹底して追いかけた工藤敏樹執念のドキュメンタリー。「水爆禁止運動を政争の道具にさせてはならない」という強い批判精神に溢れた一作~
ドキュメンタリー 廃船(TV番組) 1969  モノクロ BS・CS初/未ビデオ化
(C)NHK 人間列島 さくらえびの春(TV番組) 1971  カラー BS・CS初/未ビデオ化
(C)NHK ドキュメンタリー メッシュマップ東京(TV番組) 1974  カラー BS・CS初/未ビデオ化
(C)NHK 祈りの画譜~もう一つの日本~(TV番組) 1972  カラー BS・CS初/未ビデオ化

 
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by yamanohon | 2008-07-01 21:54